スズキのF1計画(とっても古い話)

1990年代のことですが、スズキがF1エンジンを開発しているという話がありました。そして、その顛末がBikers Stationの2008年1月号と2月号に割と詳しく掲載されていました(記事の時期もずいぶんと古い話でスミマセン)。

スズキのエンジニアだった横内悦男氏(2輪の世界GPレーサーなど、多くの車両で開発主幹を務めた方)の回顧録という形での記事でしたが、なかなか興味深いものでした。

スズキがエンジンの開発をしているという噂は、当時のF1雑誌の記事などからケメ子も知ってはいましたが、それ以上のことは知りませんでした。
ところがこの話、実ははエンジン開発だけのことではなく、スズキを経由してカヤバのサスペンションや、デンソーのラジエターがマーチに供給され、実戦投入されていたということでした(!)。

スズキのエンジン開発は1991年に始まったとのことですが、その年のうちにマーチから接触を受け、上記のような部品を実戦投したということです。

その記事の中で面白いと思ったのは、サスペンション自体の問題を掴み、部品の改良を加えることで最終的には入賞を果たしたくだりです。カヤバが設計したサスペンションユニットはフランスGPで初めて投入され、更に改良を加えたところ、ハンガリーで6位の結果を得たとのことですが、ハンガリーGP開催地のハンガロリンクは低速コースですし、路面も割と荒れているコースです。日本では「A.ニューウェイが設計したマーチは空力を追求しすぎて低速コースや路面が荒れているコースでは大苦戦だった」というのが定説になっていますが、結果が出たのは低速で路面の荒れたコースです。
...ということは、空力を追究云々ということとレース結果が出にくいことには、実際には大きな相関のあることではなくて、単純にそれまでのサスペンションユニットの設計や設定が不適切で、セッティングを出すことにことごとく失敗していただけでは、という疑念が...。
更に古い記録をたどれば、同じく「ニューウェイの空力マシン」である1988年の881も、予選最上位(4位)を記録したのは、路面が大きく荒れているはずのメキシコシティでしたね...。このレースでは、たまたまドンピシャのセッティングを見つけたということなのかもしれません。本当に「空力マシン」であれば、このコースで結果が出るわけがないのですから。

閑話休題。
スズキは、最終的に1996年の春までエンジン開発をしていたとのことでした。
その間、3500㏄ではVバンクの異なる2つのエンジンと、1994年からのレギュレーションに合わせ、排気量を3000ccに縮小したエンジンの計3機種が作られたとのことでした。

歴史にifは無いと言うけれど、スズキが出ていたら結構盛り上がったのではないかなぁなどと思って、1990年代のF1に思いを馳せてみたりして。